寒暖の差が感じられるようになりました。
クリスマスケーキやおせちの予約などが目につき、年の瀬が近く感じられるこの頃です。
冬に向かいつつあるいま、個人的にも押し迫ってきているのは、大河ドラマ「真田丸」のこれから。戦国時代の終わりから江戸時代が始まる界の大阪夏の陣、主君豊臣家を守るため徳川家康に最後まで突き進んで行く姿を、どのように描くのか楽しみです。
その戦国時代といえば、味噌普及に切っても切れない時期にあたるのはご存知でしょうか。
室町時代には各地に浸透していった、味噌。戦国時代にはいり携帯に適した食材として、味噌作りが盛んになりました。上記の徳川家康はもちろん、織田信長や豊臣秀吉の三者とも中京圏出身ですが、当時には赤みのつよい豆味噌を食べていたそうです。また、武田信玄や伊達政宗は味噌作りを奨励したことも有名です。
面白いのは、戦での味噌の携帯方法。
織田信長など戦国武将が戦場にむかう際には「焼き味噌」を持って行ったといわれています。この「焼き味噌」は、豆味噌にゴマや鰹節などを加えて炙ってかためたもの。これは各地にもみられ、具材もさまざまに伝えられています。湯をかければ味噌汁になるところは現在の味噌玉に通じていて、当時頼もしい一品だったでしょうね。
また信濃の武田信玄は、貴重な塩の備蓄のため味噌作りを押し進めていき、信州味噌の礎になりました。戦場では、団子にした豆と麹をまぜたものを持って行き移動のあいだに発酵させる、「陣立味噌」を携帯しました。通常、当時の戦は冬におこなわれるもの。味噌作りのよい時期と重なることから、合理的な携帯食となっていました。
そして特に面白いのは「芋がら縄」
里芋などの芋の茎を縄のように編み、味噌で煮しめて乾燥させたもの。
帯のように腰に巻いたともいわれていますが、ほどよい固さと軽さが携帯に適していたのでしょうね。食べるときには、切って湯でもどし即席の味噌汁にしたり、鍛鉄でできた陣笠をうらがえして鍋にし、焼き味噌などといっしょに煮炊きをしたようです。
つねに移動がともなう戦場での携帯食は、知恵のと工夫のかたまり。
昨今ブームになった味噌玉を含め、「菓子松風」や「五平餅」など現在にも伝わる美味しいもので、当時に思いを馳せるのも楽しいことです。