月別アーカイブ: 2017年9月

国まもる味噌と武将

秋晴れの穏やかな日が続いています。

スーパーや食料品店などでは、旬の野菜や果物が豊かな実りを伝えていますね。
最近では毎年のように新しい品種を見かけます。
農家や種子生産の皆さんの開発力には頭が下がるとともに、同じ食品を扱うものとして気持ちが引き締まる思いがします。

開発といえば味噌にとっても、昨今の種類の豊富さや購買者へのさまざまなアプローチの仕方には、工夫が感じられます。
さらに味噌の歴史を遡れば、色々な地域に特色を持った味噌が生み出されたのは、戦国時代以降。
乱世に領土を支配した戦国武将は、戦の兵糧に欠かせない味噌づくりを奨励し、農業や地域経済を発達させていきました。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を生んだ中京地方の「豆味噌」は、夏の暑さにも強く長期保存か効く、赤褐色の辛口が特徴。天下を目指す原動力のひとつだったのではないでしょうか。

以前ブログでも書いたとおり、陣立みそなどを考えだした武田信玄は、「信州味噌」として味噌づくりを普及させました。これは海のない山国では貴重な塩を貯蔵する役割もあったため。今川・北条氏との戦いでは塩止めにあい、このことが『敵に塩を送る』の逸話となりました。

美談の真相は定かではありませんが、送った相手とされる上杉謙信も、関東に出兵した際に兵に技術を取得させ「越後味噌」を普及させています。特徴は米粒が味噌のなかで浮いてみえる、浮麹味噌。麹が多めですが辛口の米味噌です。

また前田利家の加賀藩にも『治にいても乱を忘れず、準備おさおさ怠りなく』として、徳川政権中にも軍用貯蔵として米の甘みがたつ濃厚な「加賀味噌」を造っていきました。

料理好きの伊達政宗も、味噌を重視し『御塩噌蔵』と呼ばれる大規模な醸造設備を設けました。これが日本最初の味噌工場といわれています。大豆の割合が多い風味のよい味噌で、藩政のもと製造した味噌の余剰分が、江戸の味噌問屋に払い下げられ「仙台味噌」として江戸市中に知られるようになりました。

上にあげたどのお味噌も、比較的塩味がつよく貯蔵時間が長めなのは、保存が可能な栄養食であったため。
時代や気候風土が変われば、土地に合ったお味噌が生まれていきます。
ただその背景にあるものは、どのお国柄も変わらない、食を通して人を守りたい思いだったのでしょうね。

金山寺味噌のゆたかな知恵

抜けるような青空が少しづつ秋に近づくこの頃。
今年の夏は雨天の地域差がとても強く感じられました。

香川では晴れ間が多かったですが、関東以北では雨の多く夏らしくない日が続いたようです。近年、豪雨や台風などの影響で野菜の生産量や値段高騰に悩まされることが多くなりました。数日で価格が変化するときなどは、いつもは魚や肉の副食になりがちな野菜も、大切に使いたくなります。
昔から野菜の保存方法は色々とありますが、おかず味噌ともなめ味噌とも呼ばれた『金山寺味噌』も、野菜を長く楽しむためのもの。

大豆や麦と共に刻んだ野菜が入っているのが特徴で、弊社の金山寺味噌にも茄子を混ぜあわせています。他の味噌よりも、甘みが強く水分の多いのでそのままでも食べやすく、ご飯や野菜などにのせたり、お酒のアテとしてもおすすめです。

この金山寺味噌には由来の諸説はありますが、鎌倉時代の僧、心地覚心が1254年に修行していた宋から、紀州由良の鷲崎山興国寺の開山となり、近傍の湯浅(現在の湯浅町)に「径山寺味噌(きんざんじみそ)」を伝えたのが起源といわれています。

先の8月10日、農林水産省は和歌山県の『紀州金山寺味噌』を「地理的表示保護制度(GI)」の対象に追加登録しました。
長く培われた伝統的な生産方法や気候・風土・土壌などの生産地の特性が、品質などの特性に結びついている産品を、登録保護していくこの制度。味噌としては、はじめての登録となりました。
和歌山の郷土料理のひとつにある「茶がゆ」にも添えられる金山寺味噌は、和歌山の醤油の起源ともいわれています。宋から伝わった技術と食料保存の思いが詰まった味噌を守り伝えていただけることは、とても有り難いことです。

まだまだ夏野菜が並んでいるこの時期。
キュウリや茄子などの夏野菜に添えてそのまま食べれば、野菜と一緒に長く食べていきたかった伝統の味に、先人の知恵が感じられるかもしれません。