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年末のごあいさつ

はやいもので、今年も残すところあと少しとなりました。
月日が過ぎ去るのが早く感じますのも、さまざまな場所で皆さまからご支援いただいた賜物。
本年もお世話になりました事、深く御礼申し上げます。

振り返れば、 オリンピックや熊本の地震など色々な出来事があった年ですが、皆さんにはどのような一年だったでしょうか。

弊社にとりましても6月の台湾、10月の上海と海外においての販売イベントや、NHK文化センター高松教室やリビングカルチャーでの味噌作り教室など多くの催しのなかで、国内外の方々と交流深い年となりました。

来年も味噌作りを根本にしながら、多くの方にお会いし味噌文化食文化をお伝えできればと思っております。
どうぞ、皆様にとりましてよい年を迎えられますことを、お祈り申し上げます。

集う楽しさ鍋料理

先月半ばから冷え込み始め、本格的な冬の到来を感じます。
この時期食べたいものは色々ありますが、やっぱりあたたまる鍋料理がうれしく思います。

最近の鍋料理は新しいモノ好きな日本人を表すように、毎年のように違う味が出てきますね。
定番になったもつ鍋や豆乳鍋•キムチ鍋などは、餃子やロールキャベツをいれて彩りをそえています。トマトやレモン・パクチーなどの様々な食材が使われたものがあり、トムヤンクン鍋など海外の料理を取り入れたりと、おどろきや流行を感じます。また、鍋の素のパックや一人前のキューブになったものなど、手軽に調理出来るようにもなりました。

味噌を使った鍋料理として有名なのは、広島の「土手鍋」

鍋のまわりに味噌を塗った形から名付けたとの説が一般的ですが、もうひとつのいわれもあるそう。安芸の矢野町にすむ<土手吉助>なるカキの行商人が、大阪にてカキを使った鍋物を作ったところ、好評を博しその名をとったのが始まりとの事。どちらにしても、あまり火を通しすぎずカキと味噌の風味をいかした食べ方を伝えた先人に、ありがたさを感じつつ大切にしたい鍋料理。

鍋料理の話を書いた北大路魯山人は
“上方では「楽しみなべ」ともいっている。なぜ「楽しみなべ」なのかといえば、いろいろな材料がちらちら目について、大皿に盛られたありさまが、はなやかで、あれを食べよう、これを食べようと思いめぐらして楽しみだからである。”
と紹介。

美味しい味を探求して新しい味が生まれる、食へのどん欲さは日本人ならではと感じます。好奇心旺盛に各国の料理を取り込んでいく鍋料理は、他国の文化を取り込み、自分たちに合うよう変化させ、集う仲間と和気あいあいと昇華させていく私たちの姿のようです。

戦国みそ模様

寒暖の差が感じられるようになりました。
クリスマスケーキやおせちの予約などが目につき、年の瀬が近く感じられるこの頃です。

冬に向かいつつあるいま、個人的にも押し迫ってきているのは、大河ドラマ「真田丸」のこれから。戦国時代の終わりから江戸時代が始まる界の大阪夏の陣、主君豊臣家を守るため徳川家康に最後まで突き進んで行く姿を、どのように描くのか楽しみです。

その戦国時代といえば、味噌普及に切っても切れない時期にあたるのはご存知でしょうか。

室町時代には各地に浸透していった、味噌。戦国時代にはいり携帯に適した食材として、味噌作りが盛んになりました。上記の徳川家康はもちろん、織田信長や豊臣秀吉の三者とも中京圏出身ですが、当時には赤みのつよい豆味噌を食べていたそうです。また、武田信玄や伊達政宗は味噌作りを奨励したことも有名です。

面白いのは、戦での味噌の携帯方法。

織田信長など戦国武将が戦場にむかう際には「焼き味噌」を持って行ったといわれています。この「焼き味噌」は、豆味噌にゴマや鰹節などを加えて炙ってかためたもの。これは各地にもみられ、具材もさまざまに伝えられています。湯をかければ味噌汁になるところは現在の味噌玉に通じていて、当時頼もしい一品だったでしょうね。

また信濃の武田信玄は、貴重な塩の備蓄のため味噌作りを押し進めていき、信州味噌の礎になりました。戦場では、団子にした豆と麹をまぜたものを持って行き移動のあいだに発酵させる、「陣立味噌」を携帯しました。通常、当時の戦は冬におこなわれるもの。味噌作りのよい時期と重なることから、合理的な携帯食となっていました。

そして特に面白いのは「芋がら縄」

里芋などの芋の茎を縄のように編み、味噌で煮しめて乾燥させたもの。
帯のように腰に巻いたともいわれていますが、ほどよい固さと軽さが携帯に適していたのでしょうね。食べるときには、切って湯でもどし即席の味噌汁にしたり、鍛鉄でできた陣笠をうらがえして鍋にし、焼き味噌などといっしょに煮炊きをしたようです。

つねに移動がともなう戦場での携帯食は、知恵のと工夫のかたまり。
昨今ブームになった味噌玉を含め、「菓子松風」や「五平餅」など現在にも伝わる美味しいもので、当時に思いを馳せるのも楽しいことです。

今年も伝えたい、味噌の味

朝晩がひんやりとしてきたこの頃。すぐそこまで秋がやってきていますね。
正月に使われる白味噌はこれからが仕込みの本番。
秋から冬にかけて外気は寒くなりますが、製造の方はますます気合い十分です。

秋といえば食欲や芸術など色々にありますが、ここ香川県では祭りの秋でも盛り上がっていきます。大きなところでは西讃地区ではちょうさ祭りが、中讃では金刀比羅宮例大祭、東では白鳥神社秋季大祭などが来週末にかけておこなわれ、厳かできらびやかに、そして粋で豪快な雰囲気に包まれます。

また先週あたりから県内の各地域で獅子舞が奉納され、地区の店舗や家々をまわっていきます。
この獅子舞は上ほどの大きなイベントではありませんが、香川では昔から受け継がれてきた伝統行事。800もの組があり各市町村では無形文化財に指定されています。戦前からは数が減ってきた獅子舞ですが、子供会や自治会などで引き継がれるよう、その地域にあわせた獅子舞をつくりあげているようです。

ひるがえって味噌も、以前では家庭で作ることも多いものでした。
機械などありませんから、家族総出のちょっとしたイベントだったそうで、女性たちが竈で蒸らした大豆を男性陣が臼と杵でつぶし、塩と麹を子供たちと一緒にまぜていく作業。大変ながらもにぎやかになるところは、お祭りのようですね。

弊社が昔からの伝統の味を伝えてきたように、各家庭にも甘みが強い、塩味が強いなどそれぞれの味噌の味があったのだと思います。
また同じ材料や分量でも、作る方が違うと味が変わるは味噌の面白いところ。

昨年末から今年頭にかけて開催いたしました、味噌作り教室で作られた方はおられますでしょうか。手作りの味噌は、そろそろ出来上がるよい頃合いかなと思います。1度自身で作られた味を確かめていただければと思います。

その際には、参加された方から問い合わせがあった、2点ほどご注意を。
味噌に、白い点々または黒い汁のようなものが出ている場合があります。白い点はチロシン成分ですので全く問題ありません。黒い汁は恐らくカビの一種ですのできれいに取り除けば、召し上がっていただけます。
これからどんどん味噌が成熟した味に変化していくと思いますので、その過程も味わってみるのも楽しいかと思います。

そして、今年も弊社の味噌作り教室の開催を予定しています。
NHK文化センター高松教室さんでは、残りわずかですが11月19日に、去年もさせていただきましたリビングカルチャーセンターさんでも予定しております。随時Facebookにてお知らせしていきますね。

残していきたい伝統の味を、気軽に作って楽しめるイベント。
以前から興味があった方も前回ご参加いただいた方も、この機会にぜひ体験ください。

瀬戸内をめぐる交流と味

いま開催されている、香川の島々などをめぐるアートの祭典、瀬戸内国際芸術祭。
面白いもの、ふしぎなもの、もちろん美しいものなど、色々なアートを見ながら、それぞれに特徴のある島の情景を感じられるイベントとなっています。なかでも島をわたる船の旅は、風と海のにおいのなかを進み、車や電車とはちがった楽しさがあります。
一つの島に立つと、思いのほか近くに他の島が見えるので、次はあちらの島に行ってみようかなと興味がつきません。

昔から瀬戸内は、海運の要所。
源平合戦や西廻海運など歴史をひも解いてみても、内海に船を走らせて様々な交流があっただろうなと思いを馳せます。

その一部の交流のなかに、味噌を使った料理があるのをご存知でしょうか。

一説には沖縄の鶏飯からきたともいわれる、九州は宮崎の郷土料理「冷や汁」
焼いた魚の身をほぐし、野菜や麦飯にゴマ味噌をまぜた出汁とあわせた、暑い日にうれしい料理です。作り方は家庭によって異なるそうですが、特徴的なのはすり鉢ですったゴマと味噌を、火であぶってあること。香ばしさをひきだしだして、深い味わいになります。

この「冷や汁」に似た料理が全国的にあるそうで、香川県では「讃岐さつま」とよばれ西讃地域に残っています。
名前のとおり「さつま」鹿児島県でも作られていたそうで、お隣の愛媛県宇和島では「伊予さつま」、岡山県や広島でも「さつま味噌」「さつま汁」と色々な地域で呼ばれています。伝承は定かでなないそうですが、九州から海をわたって瀬戸内に面した各土地に伝わっていったのではないかと思われます。

香川の「讃岐さつま」は、じっくり焼いた魚の骨や頭でとった出汁でつくります。祝い事のお膳にのる鯛などをつかうことが多いのは、瀬戸内ならでは。また味噌を白味噌合わせだったり、小豆島のそうめん、うどんにもかけることも香川での特徴で美味しそうです。

今回の瀬戸内国際芸術祭は「食プロジェクト」も展開され、島や会場ではその土地ならではの恵みが食べられるとのこと。人々が航路をめぐりながら交り合い、土地の文化を豊かにしていくことは今も昔も変わらないですね。